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SLOW&CHICについて「考察その2」

現代において、癒し、リラクゼーション、健康志向がもてはされることは
この色々な矛盾や過度のストレスの要因がみちあふれる都市生活において当然の帰結であると思います。
また食文化においてフランスやイタリアの郊外のレストランから派生した
SLOWフード運動は、効率やスピードばかりを追い求めた米国巨大資本主義へのアンチテーゼとして、
人間本来の優しさや、ゆとりの回帰というテーマの基に本質的なムーブメントと
なろうとしています。
しかしながら、いつものように、
この日本特有な情報社会の内でSLOWという言葉が記号化され、加速され、消費されてゆく過程の中で、
いつの間にか、優しさ、ゆとりへの回帰という本質的な部分が
ひたすら受け身的な怠惰や過剰なルーズへという方向に移行し、
緊張感の欠落による外的な思いやりへの欠除、礼節の喪失という社会現象へと表面化してきているように
思えてくるのは考え過ぎなのでしょうか?。
私達が携わっているファッションの世界でも、同様な現象が表面化している様に思われてならないのです。
この夏、女性のファッションにおける異常なドレープ流行り、感受性のかけらも感じられない様な重ね着コーディネイト、
ドレープって、あんな貧乏臭いテクニックだったの?もっとエレガントなものじゃなかったのかな〜、
重ね着ってもっともっと知的な遊びじゃなかったのかな〜。
SLOWとルーズは似て非なるもの。
SLOWな生き方と怠惰な生活とは対局的に違うはず。
そこには、自己の意志の有無が重要なファクターになってくるのでは?。
そして確かな方向性を明確に僕達に提示してくれるのはいつの時代も精神的なCHICの存在ではないのでしょうか?
”SLOW&CHIC”

2003/sept.23(秋分の日に)

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